前チーム統括部長高本氏と元FC岐阜監督大木氏を振り返る
更新を楽しみしていただいている、数少ないわーわー8ファンの皆さんに、まず謝りたいです。
更新遅れてすみません。
_(._.)_
ただ理由もありまして、インフルエンザのような風邪にかかってしまって(インフルエンザではないです)寝込んでいたのです。
とはいえ、風邪にかかる前に、もう少し早く書けた気も…。
(>_<)
この反省を次に活かす決意をして早速、本編に入りま―す。
さて、シーズン終了から今日までで、チームスタッフにも動きがありましたが、その中でも一番の注目はチーム統括部長の高本氏の退任ではないでしょうか。
SNSなどでサポーターの声を聴いてみると、今回の降格は高本氏の責任が大きいとする意見が多かったように思えましたが、これは僕の考えとはちょっと違いますね。
高本氏がチーム統括本部長に就任したのは、ラモス監督2年目の時代ですが、戦術にかなり難のあったラモス岐阜の2年目、3年目を何とか残留させてくれました。
それほどお金のない中、選手補強を頑張ってくれた事や、不足の事態に備え、3年目には吉田さんをコーチとして迎え、シーズン中の監督交代のリスクに備えた事など、中々のファインプレーだったと思います。
その後、ラモス時代が終わり、ようやく自身の思いをチームにダイレクトに反映させる事のできるようになった高本氏が選んだのが、大木さんでした。
これも間違ってはいなかったと思います。
当時、実績もあり、人望も厚かった大木さんを軸として、行き当たりばったりで全くチーム力を積み重ねる事が出来ていなかったFC岐阜を、大きく変えていくつもりだったのでしょう。
魅力的なサッカーで結果を出し、育成も含めた岐阜スタイルを確立していく。そんな長期計画があったのではないでしょうか。
しかし、現実は思うようにはいきませんでした。
戦術的にも手詰まり感があり、結果も微妙という状態で、あっという間に2年が過ぎました。
正直言って、大木監督の3年目続投は迷いもあったのではないかと想像します。
しかし、ここで大木さんを諦めてしまったら、岐阜のスタイルの確立という大きなチャレンジも、また一からやり直さなければいけません。
そのような事もあり、高本氏はシーズン前に、岐阜史上最強といえる選手達を大木さんのために揃え、チームを託したのだと思います。
ちなみに今年のメンバーが岐阜史上最強というのは、たんに僕が思っているだけでなく、他チームのサポーターや、サッカーライターなどの専門家も一様に語っていた事で、この時点で高本氏の仕事ぶりを悪く言う人は、ほぼいませんでした。
大木さんも、1年目、2年目はメンバー的にも、確かに苦しかったでしょう。
しかし、チームを任せられ2年半も経ち、さらにこの岐阜史上最強メンバーを率いて、18節で最下位という成績は全くもって話しにならない事で、大木さんの責任は果てしなく重いと思います。
上位進出は出来ないまでも、このメンバーで最下位は、ちょっと考えられないですから…。
監督交代後、試合に出るようになった川西の圧倒的実力を観ると、例え、戦術的にマッチングしていない部分が多少あったとしても、このレベルの選手をベンチにすら入れないのは明らかにおかしいと感じました。
こういう事例をみてしまうと、結局、今年一年を怪我で棒に振ってしまった富樫に関しても、最初から試合に出る実力はあったのに、それを使いこなす力が大木さんになかっただけなのではないかという疑念も生まれてきます。
もちろん、高本氏にも、大木さんの監督継続を決断して、結果、チームをJ3に落としてしまった責任はあるんですよ。
ただ、そこに至る背景や、決断に至った大きな視点も考慮しなければいけないと思うんですよね。
長期政権による確固たる岐阜スタイルの構築を目指し、育成も含めた岐阜の大きなヴィジョンを掲げた。
大木岐阜の3年目には、皆が驚くレベルの補強も成し遂げた。
もっといえば、結果は伴わなかったけど、監督交代で北野さんを選んだセンスや、そこからのガムシャラともいえる補強だって、よくやってくれたと僕は思います。
「じゃあ、何で結果落ちてるんだよ!」というツッコミが聞えてきそうですが、う~ん・・・、なんででしょう(笑)。
まぁ、思った以上にあまりに大木さんが期待に応えれなかったのが一番の原因で、あとは運が悪かったのだ思います。
長々と書いてきて、ふざけたような結論になって申し分けないのですが、ありますからね、人生には。理由を探してもしょうがないことが。
ただ『運が悪くても最低限降格はしない』というチーム力がなかったともいえるかとは思いますが…。
何か、今回はとりとめのないブログになってしまいました。
(^_^;)
まだ、風邪が完治してないからかな…。
早く寝よっと。
(*´з`)ノ
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更新遅れてすみません。
_(._.)_
ただ理由もありまして、インフルエンザのような風邪にかかってしまって(インフルエンザではないです)寝込んでいたのです。
とはいえ、風邪にかかる前に、もう少し早く書けた気も…。
(>_<)
この反省を次に活かす決意をして早速、本編に入りま―す。
さて、シーズン終了から今日までで、チームスタッフにも動きがありましたが、その中でも一番の注目はチーム統括部長の高本氏の退任ではないでしょうか。
SNSなどでサポーターの声を聴いてみると、今回の降格は高本氏の責任が大きいとする意見が多かったように思えましたが、これは僕の考えとはちょっと違いますね。
高本氏がチーム統括本部長に就任したのは、ラモス監督2年目の時代ですが、戦術にかなり難のあったラモス岐阜の2年目、3年目を何とか残留させてくれました。
それほどお金のない中、選手補強を頑張ってくれた事や、不足の事態に備え、3年目には吉田さんをコーチとして迎え、シーズン中の監督交代のリスクに備えた事など、中々のファインプレーだったと思います。
その後、ラモス時代が終わり、ようやく自身の思いをチームにダイレクトに反映させる事のできるようになった高本氏が選んだのが、大木さんでした。
これも間違ってはいなかったと思います。
当時、実績もあり、人望も厚かった大木さんを軸として、行き当たりばったりで全くチーム力を積み重ねる事が出来ていなかったFC岐阜を、大きく変えていくつもりだったのでしょう。
魅力的なサッカーで結果を出し、育成も含めた岐阜スタイルを確立していく。そんな長期計画があったのではないでしょうか。
しかし、現実は思うようにはいきませんでした。
戦術的にも手詰まり感があり、結果も微妙という状態で、あっという間に2年が過ぎました。
正直言って、大木監督の3年目続投は迷いもあったのではないかと想像します。
しかし、ここで大木さんを諦めてしまったら、岐阜のスタイルの確立という大きなチャレンジも、また一からやり直さなければいけません。
そのような事もあり、高本氏はシーズン前に、岐阜史上最強といえる選手達を大木さんのために揃え、チームを託したのだと思います。
ちなみに今年のメンバーが岐阜史上最強というのは、たんに僕が思っているだけでなく、他チームのサポーターや、サッカーライターなどの専門家も一様に語っていた事で、この時点で高本氏の仕事ぶりを悪く言う人は、ほぼいませんでした。
大木さんも、1年目、2年目はメンバー的にも、確かに苦しかったでしょう。
しかし、チームを任せられ2年半も経ち、さらにこの岐阜史上最強メンバーを率いて、18節で最下位という成績は全くもって話しにならない事で、大木さんの責任は果てしなく重いと思います。
上位進出は出来ないまでも、このメンバーで最下位は、ちょっと考えられないですから…。
監督交代後、試合に出るようになった川西の圧倒的実力を観ると、例え、戦術的にマッチングしていない部分が多少あったとしても、このレベルの選手をベンチにすら入れないのは明らかにおかしいと感じました。
こういう事例をみてしまうと、結局、今年一年を怪我で棒に振ってしまった富樫に関しても、最初から試合に出る実力はあったのに、それを使いこなす力が大木さんになかっただけなのではないかという疑念も生まれてきます。
もちろん、高本氏にも、大木さんの監督継続を決断して、結果、チームをJ3に落としてしまった責任はあるんですよ。
ただ、そこに至る背景や、決断に至った大きな視点も考慮しなければいけないと思うんですよね。
長期政権による確固たる岐阜スタイルの構築を目指し、育成も含めた岐阜の大きなヴィジョンを掲げた。
大木岐阜の3年目には、皆が驚くレベルの補強も成し遂げた。
もっといえば、結果は伴わなかったけど、監督交代で北野さんを選んだセンスや、そこからのガムシャラともいえる補強だって、よくやってくれたと僕は思います。
「じゃあ、何で結果落ちてるんだよ!」というツッコミが聞えてきそうですが、う~ん・・・、なんででしょう(笑)。
まぁ、思った以上にあまりに大木さんが期待に応えれなかったのが一番の原因で、あとは運が悪かったのだ思います。
長々と書いてきて、ふざけたような結論になって申し分けないのですが、ありますからね、人生には。理由を探してもしょうがないことが。
ただ『運が悪くても最低限降格はしない』というチーム力がなかったともいえるかとは思いますが…。
何か、今回はとりとめのないブログになってしまいました。
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まだ、風邪が完治してないからかな…。
早く寝よっと。
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